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火の神さま
明治後期まで日本での煮炊きする場には《竃(かまど、別名:くど)》がありました。
京都では《おくどさん》と呼ばれ、敬う気持ちと親しみを込めた表現であったと思われます。(おいなりさんやおかいこさん等と同様の表現?)
そこは煮炊きする場であると同時に《火の神さま=かまど神、荒神》を祀る場でもありました。煮炊きができると同時に扱いを間違えると火事を起こす危険性も持ち合わせていたのです。
新年を迎えるにあたり、かまどに鏡餅を供えたり、注連縄(しめなわ:紙垂(しで)をつけた縄)を飾ったりしてきたことも《火》を敬う文化のひとつで家の中に《火の神さま》がいたことが伺えます。
ギリシャ神話でも《火》は重要なものとして伝えられています。未熟な存在の人類に《火》を渡したプロメテウスは、ゼウスの怒りに触れ罰を受けます。その一方で、《火》を手にした人類は、暖かさや調理、土器、製鉄など多くの恩恵を受けますが、と同時に武器をつくることをおぼえて戦争を始めてしまうというものです。
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姿を消した火の神さま
このように洋の東西を問わず世界中で、《火》は恩恵と災いをもたらすことから、《神さま》として崇め恐れられてきました。
明治後期より家庭にもガスコンロが普及しはじめ、《火起こし》が家事の中からなくなる便利さから、かまどは徐々にその姿を消し始め、戦後の高度成長期にはほとんど姿を見なくなりました。
《火起こし》の煩わしさから解放されつつもガスコンロや石油ストーブの《炎》は、家の中に残りました。この時期すでに、《火の神さま》の存在をが見えにくくなってきたのかもしれません。
しかし、エアコンや電磁調理器(IHクッキングヒーター)の普及に伴いその《炎》さえも家の中で見かけなくなりつつあります。火事の心配が少ない、スイッチひとつで操作できるというのが選ばれる理由のひとつのようです。
そして、小学校でも焼却炉が姿を消し、4年生の理科の実験で初めて《火》を扱うという子ども達もあらわれ始めています。マッチを見たことがなく、どのようにして火を点けるのか知らない子どもたちも多いと聞きます。
このように、知らず識らずのうちに身の回りから《火》の存在が消えつつあり、それとともにありがたさや怖さも忘れ去られつつあるのではないでしょうか。
しかし、その大切さを痛感させられるのが被災時という非日常です。ライフラインが寸断されるとスイッチひとつで出来ていたいろんなことが出来なくなります。そのなかのひとつが《火》でした。
暖をとるための焚き火やプロパンガスを用いた炊き出し、カセットコンロを用いたちょっとした調理、まわりを明るくするろうそくの火など。
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火の神さまをお宅に招く
現在はまだ、《火》の扱いに長けた世代がいるので安心できますが、そのうち《火》の扱いに戸惑う世代が多くなるかもしれません。
そうならないためにも日頃から《火》の扱いには慣れていたいものです。
何も難しいことではなく、普段の暮らしのなかに《火》を取り入れることだけでOK!
ただし、《火》を扱う時にはその恩恵に想いを馳せると同時に危険性と換気にも留意して行いましょう。
普段IHコンロを使っているお宅ならば、カセットコンロを利用して卓上でお鍋(災害時などいざというときの練習を兼ねて)、少し中級者向けですが、お庭やバルコニーで炭火を使ったバーベキュー(火起こしの練習を兼ねて)。
さらに上級者ならば、屋内に薪ストーブを設けることも考えてみては!
そこまでしなくても、ベッドルームでアロマキャンドルを灯したり、ハロウィンやクリスマスなどでキャンドルを灯すときなど、年に数回でも友だちや家族と一緒に《炎》の揺らめきを眺めながら、ちょっとだけ《火の神さま》に感謝してみてください。